刃傷松の廊下(真山一郎) 東京都のご当地ソング 歌ってみました

真山一郎さんの「刃傷松の廊下」を歌ってみました。

 

江戸城が舞台ですので、東京都のご当地ソングということにしました。

歌った動画は一番下にあります。


刃傷松の廊下/番場の忠太郎/雪の桜田門 [ 真山一郎 ]

 

 

「刃傷松の廊下」(にんじょうまつのろうか)

作詞:藤間哲郎(ふじま・てつろう)
作曲:櫻田誠一(さくらだ・せいいち)
歌手:真山一郎(まやま・いちろう)

 

刃傷松の廊下(真山一郎)昭和36年

 

 

江戸城

武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にあった日本の城
現在は皇居

別名、千代田城(ちよだじょう)及び江城(こうじょう)

 

松の大廊下跡(歌ってみた動画の中に写真が出てきます)

〒100-0002 東京都千代田区千代田1−1, 東御苑, 皇居

 

 

饗応役

ウィキペディアより

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饗応役(きょうおうやく)とは、江戸時代に天皇・上皇・女院より派遣されて江戸に下向してきた使者(それぞれ勅使・院使・女院使)を接待するために江戸幕府が設けた役職である。
主に外様大名が任命された。

毎年正月には幕府将軍は、高家という旗本たちを派遣して京都の天皇と上皇に対して年賀を奏上する。これに対して天皇と上皇は、答礼として2月下旬から3月半ばにかけて勅使と院使を江戸へ派遣する。
これが江戸時代の毎年の恒例行事であった。

江戸へ下向した勅使と院使は江戸にいる間は幕府の伝奏屋敷に滞在するのだが、ここで御馳走をふるまったり、高価な進物を献上したり、勅使院使の行く先の内装を良くしたり、お話し相手になったりなどの諸々の応待をするのが饗応役である。

勅使饗応役に就任するのは、4万石から7万石前後の所領を持つ城主の外様大名、院使饗応役に就任するのは1万石から3万石前後の陣屋の外様大名であることが多かった。


 

 

赤穂事件

ウィキペディアより

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赤穂事件(あこうじけん)は、18世紀初頭(江戸時代)の元禄年間に、江戸城・松之大廊下で、高家の吉良義央[注釈 1]に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野長矩が切腹に処せられた事件。
さらにその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央らを討った事件を指すものである(「江戸城での刃傷」と「吉良邸討ち入り」を分けて扱い、後者を『元禄赤穂事件』としている場合もある)


 

 

忠臣蔵で有名な「吉良邸討ち入り」へとつながっていくのですね。


忠臣蔵 [ 里見浩太朗 ]

 

 

「刃傷松の廊下」の「刃傷」を、ずっと「はしょう」と読んでいました(恥)
パソコン等で「はしょう」と打っても「破傷」しか出て来なくて困っていました(笑)
しかも「刀」と「刃」の区別もついていませんでした。

 

歌ってみましたが、原曲キー(たぶん)の伴奏しかないので、うまく歌えませんでした。

高い声も低い声も出ないので、上がったり下がったりで忙しいです。

 

刃傷松の廊下(真山一郎) 歌ってみた cover フル 歌詞付き  セリフ入り   氷川きよし

 

ありがとうございました。

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