「南国土佐を後にして」ペギー葉山ほか・高知県のご当地ソング/解説&歌ってみた

南国土佐を後にして
なんごくとさをあとにして

原曲は、中国大陸中部に出兵した陸軍朝倉歩兵236連隊(鯨部隊)内で自然発生的に生まれ、歌われていた曲とされています。
同部隊には高知県出身者が多かったらしい。

戦後、復員兵らによって高知県にもたらされ、古里ソングとして定着。
その後、ペギー葉山盤の大ヒットで全国的に知られるようになったということです。

 

作詞・作曲となっている武政英策氏は、原曲を採譜、整理、改編。
原曲の歌詞にあった「中支」「露営」といった戦時下を連想させる言葉を、集団就職の若者をイメージさせる言葉に置き換えた。

 

作詞・作曲:武政英策(たけまさ・えいさく)

 

丘京子さんの1953年頃(昭和28年頃)シングルレコード。

その後、鈴木三重子(すずき・みえこ)さんの1955年(昭和30年)にシングル発売。

これまでは話題にならなかったのですが

 

ペギー葉山(ぺぎーはやま)さんが、1958年(昭和33年)に、NHK高知放送局テレビ開始の記念番組として「歌の広場」で歌い、テレビ時代の幕開けとともに日本全国に知れ渡ったということです。

ペギー葉山さんのシングルは、1959年(昭和34年)発売、大ヒットしました。

 

 

 

 

 

後半部に土佐民謡「よさこい節」があります。

 

ペギー葉山/南国土佐を後にして

 

 

 

 

「南国土佐を後にして」歌碑

 

2012年(平成24年)11月3日に、高知市のはりまや橋公園に「南国土佐を後にして」の歌碑が建てられました。
当日、ペギー葉山さんも除幕式に出席しました。

 

歌碑は「南国土佐を後にして」の歌詞が刻まれ、
午前8時半から午後8時半まで1時間おきにペギー葉山さんの歌声が流れ、そばに建てられた親子鯨が曲に合わせて潮を吹く仕掛けとなっています。

 

 

「南国土佐を後にして」歌碑
〒780-0822
高知県高知市はりまや町1丁目5

 

 

 

2012年・「南国土佐を後にして歌碑」除幕式

 

 

 

 

歌詞に出てくる「よさこい節」は民謡なので意味が難しいですが
特にわからないのは、3番の
「言うたちいかんちや おらんくの池にゃ 潮吹く魚が 泳ぎよる」
ですよね。
この意味は、いろんな意味があってよくわからないのですが、こういう説がありました。

「「言っちゃあ悪いけどね」我が家の池には塩を吹く魚(鯨)が泳いでるよ。」
「「(君たちが)何と言っても無駄だよ(だって、私のほうが凄いのだから)、私のところの池(土佐湾)では潮吹く魚(鯨)が泳いでいるのだからね」と今で言う「上から目線」的な意味も含んでいるのです。」
等がありました。
(本当の意味のわかる人、教えてください)

 

 

 

 

nanaで「南国土佐を後にして」を歌ってみました。
今聴いたら恥かしいけど、全曲制覇のため(笑)

ありがとうございました。

 

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