「湯島の白梅」小畑実ほか・東京都のご当地ソング

湯島の白梅
ゆしまのしらうめ

1942年(昭和17年)、小畑実(おばた・みのる)さんが「婦系図の歌」として藤原亮子(ふじわら・りょうこ)さんとの共唱で発売した楽曲。
後に「湯島の白梅」として再録。

 

1942年(昭和17年)の東宝映画「続婦系図」の主題歌。

 

作詞:佐伯孝夫(さえき・たかお)
作曲:清水保雄(しみず・やすお)

カバー多数。

 

 

 

婦系図の歌-湯島の白梅-(藤原亮子・小畑 実)

 

 

小畑 実 湯島の白梅

 

 

 

 

婦系図(おんなけいず)

 

泉鏡花(いずみきょうか)の小説
1907年(明治40年)新聞に連載

 

 

内容(楽天ブックスのページより転載)

時は明治。
有名な大学教授・酒井の下で修行する文学士・早瀬主税が密かに所帯を持っていたのは、芸者あがりのお蔦であった。
ところが酒井の愛娘に縁談が持ち上がり、お蔦との関係を師に責められた主税は別離を決意、お蔦は泣く泣く身を引いた。
これが後に舞台で満場の紅涙を絞った「湯島の白梅」の名場面である。
純愛の難しかった時代の、お蔦を始め女性たちの健気な愛が胸を打つ。

 

 

小説を原作にした舞台、映画、テレビドラマが多くある。

 

有名なセリフ。

「切れるの別れるのって、そんな事は芸者の時にいうものよ。私にゃ死ねといって下さい」

 

 

新派劇 婦系図「湯島境内」 |東京小唄清元三味線教室

 

 

 

 

1955年(昭和30年)の映画「婦系図 湯島の白梅」

https://movie.walkerplus.com/mv24362/
より

ストーリー

早瀬主税は独和辞典の編纂にあたっている酒井俊蔵の愛弟子としてそれを手伝うかたわら教師として学問にいそしんでいた。彼には芸者上りの愛人お蔦があり湯島妻恋坂に世をしのぶ世帯を持っていたが酒井は十三年前静岡の焼跡から連れて来て育て上げた主税と兄妹同様の一人娘妙子を行く末は添わせたいと考えていた。
或日酒井に呼ばれた主税はお蔦の事が知れたものとおそるおそる訪ねてみると、それは酒井の情けで辞典の原稿料が手渡され、彼は感激するのだった。
或る夜、夜店ですりが捕まり、お蔦の帯の間にその紙入れがはさまれていたことから彼女も仲間として大きく新聞に書かれ酒井の耳にも入るところとなった。
それと知らない主税はお蔦との結婚の許しを得ようと酒井に会ったが反って女と別れるように言渡され、義理と愛情の間に立った主税はお蔦を湯島の境内に連れ出し別れて呉れと頼むのだった。
その言葉に驚ろいたお蔦もそれが酒井の厳命とあっては返す言葉もなかった。
主税は仕事の為静岡へ行き一人残されたお蔦も日夜主税を想うあまり病の床に伏す様になった。
二人の仲を裂いた酒井はかつて芸者との間に子までなしながら学問のため女を捨てた身でありお蔦の心情を察し断腸の思いだった。
重態になったお蔦の病床を見舞った酒井は“お蔦、早瀬が来た。ここにいる”とはげまし微笑しながら息を引きとって行く彼女を見守るのだった。
主税がかけつけたときはすでにおそくお蔦はこの世の人ではなかった。

 

 

 

1970年(昭和45年)の映画「新・男はつらいよ」(シリーズ第4作)の中で
おいちゃん(森川信)が寅次郎(渥美清)に語って聴かせる場面が出てくる。

 

婦系図 泉鏡花 の小説 『新・男はつらいよ』第4作

 

 

 

湯島は、お蔦・主税の別れの場面の場所

湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)

通称・湯島天神

学問の神様として知られる菅原道真公を祀っている
境内の梅の花が有名

〒113-0034
東京都文京区湯島3丁目30−1

 

 

TOKYO.Yushima Tenjin Shrine. Bunkyo Plum Festival 2019 #4K #湯島天神 #梅まつり

 

 

 

上野山(うえのやま)

上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)
通称・上野公園
上野の森
上野の山

 

上野恩賜公園
〒110-0007
東京都台東区上野公園5−20

 

 

 

「湯島の白梅」、すてきな三味線で歌ってみました。

最初にあの有名なセリフを入れてみました(恥)

ありがとうございました。

 

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