「大利根無情」三波春夫・千葉県のご当地ソング/台詞入りで歌ってみた

大利根無情
おおとねむじょう

三波春夫(みなみ・はるお)さんの1959年(昭和34年)発売のシングル。

作詞:猪又良
作曲:長津義司
歌:三波春夫

 

 

 

 

ウィキペディアより

天保15年(1844年)8月6日、下総国笹川(現在の千葉県香取郡東庄町笹川)の大利根河原で起きた大利根河原の決闘で飯岡助五郎との大利根河原の決闘に笹川繁蔵方の助っ人として参加し、ただ一人闘死した平手造酒を題材とした楽曲である。

 

 

 

 

 

 

平手造酒(ひらてみき)

 

ウィキペディアより

仙台藩士あるいは紀州藩士など諸説あるが、流浪の末下総国香取郡松崎(現在の神崎町松崎)の名主宅に身を寄せ剣術道場を開いていた浪人といわれる。
博徒の親分笹川繁蔵と知り合い、天保5年(1844年)8月6日、飯岡助五郎との大利根河原の決闘に笹川方の助っ人として参加し闘死した(臨終は翌日の朝)。
享年30、あるいは30代とも。
争闘は笹川方優位に決し、笹川方で死んだのは造酒一人のみと伝わる。墓所は千葉県香取郡東庄町の延命寺。
また、神崎町松崎の心光寺にも、身を寄せていた名主の建立した平田三亀の墓がある。

講談や浪曲の『天保水滸伝』では、江戸は神田お玉ヶ池の千葉道場で、北辰一刀流千葉周作門下の四天王のひとりとされた俊英であったが、酒乱のため破門されて胸の病におかされながら博徒の用心棒となった素浪人として語られ、笹川繁蔵や飯岡助五郎に劣らぬキャラクターとして人気を博した。

 

 

 

御玉ヶ池
(於玉ヶ池)
(おたまがいけ)

 

現在の東京都千代田区岩本町2丁目5番地辺りにあった池

 

 

千葉道場

玄武館跡(千葉道場)
〒101-0042
東京都千代田区神田東松下町23

 

 

 

 

三波春夫 大利根無情 1979年「ビッグショー」より

 

 

二代目玉川勝太郎「天保水滸伝 平手造酒の最期」

 

 

 

「大利根無情」、「まぁたんバンド」の皆様がたの演奏で最初と最後にセリフを入れて歌ってみました。
セリフはイマイチでまだまだ修行が足りません。

ありがとうございました。

 

 

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